Tuuli

Tuuli Helkky Helle トゥーリ・ヘルッキー・ヘッレ70歳

なぜこの写真は撮られなければならなかったのか?

いつから全てが始まったのかとお話するのはとても難しいのですが、テレビで女優のソリ・ラッバートがインタビューを受けていたのを覚えています。彼女はそこで、老いて行く彼女自身を写したシリーズ写真について話していました。私はかつて無い衝撃を受けました。
丁度それは、私自身が身体の低下を認め始めた頃で、またそれによって身体障害が明白になった時期でした。私はヌードへの関心は低かったのですが、とてもひきつけられました。この歳で、おかしな事だとも思いました。当初は自分が裸になるとは思ってもみませんでした。被写体は身体障害を持つ若い女性であるべきだと考え、カメラに向かう若い女性を探していました。
しかし、次第に雑誌に載るような美しい身体障害者では興味をそそらない、被写体は重度の障害者で老人であるべきだと考えるようになりました。つまり私自身のように。
しかし、こんなおかしなアイデアを誰に相談出来るでしょう?長い間誰にも話しませんでした

二年前、私はトミー・パーソネン演出の「オロティラ(存在するという事)」という公演でプリマバレリーナの役に選ばれました。製作段階の初期に、「裸で出演する事に興味は有るか」とトミーに聞かれました。私は自分の熱意に恥ずかしさを覚えつつも、勿論「Yes」と答えました。 私は長年ヌーディティー(裸体になる事)について思考する中で、様々な要素について考えるようになっていました。  例えば、私は重度の障害の為、生まれて以来ずっと他者に依存して生きてきました。つまり、誰の前で何時裸になるかという事は、常に私の判断外にあったのです。しかしヌーディティーは完全な私の判断となるでしょう。 同時に、ある問いを提示したいと考えました。「美とは、調和の取れた身体と若さだけの事を指すのか?」
詩の中で、私は自分の身体に「ガラ・ドレス/晴れ着」という新しい名をつけました。

「オロティラ」の中で、トミーの裸体に関する考えは、残念ながら私とは異なるものでした。しかし、この公演は私に大きな影響をもたらしました。トミーは私を車椅子から降ろしました、車椅子なしの私は、私にとって新たな挑戦といえる馴染みの無い存在でした。魂、精神、そして身体の中で、強烈な対話が火花を散らしました。ヌーディティーへの興味が再び浮かび上がり、2001年春、例え何が出てこようとシリーズ写真を現実化しようと取り掛かり始めました。友人に聞き、何人かの写真家に連絡を取りましたが、誰からも快い返事はありませんでした。
トミーが写真と強烈な映像に興味が有ると気付いた私は彼に提案しようかと考えました。しかし、彼は優しい友人だから私の申し出を断り難いだろう、まして彼は様々な事で忙しいはずだと考え躊躇しました。ある日、勇気を振り絞って提案したところ彼は私のアイデアに大変興奮しました。そして2001年8月、私達はオロティラのフェスティバル公演期間中に撮影を開始しました。

撮影と準備については一冊の本に出来るでしょう。私は長年このテーマについて考えてきました。カメラの前でポーズを取る事はエキサイティングな事でしたが、写真に写った自分自身を眺める事は、驚くほど難しい事でした。私は写真に基本的アイデアが反映しているのだろうかと疑いました。
ほんの数日前、やっと私は自分の写真を自分ではなく一枚の写真としてその大胆さと調和を楽しめる事に気がつきました。

排除、除外、排斥の広がる世界の人々に、この写真が新しい観点をもたらす事を願います!  そして私を気に入ってくれた貴方、あなたの「晴れ着」を作ってね!

2002年10月10日 
トゥーリ・ヘルッキー・ヘッレ>